伊興郵便局長 山崎 治(やまざきおさむ)さんの体験談
1945(昭和20)年5月5日に、足立区最後の学童疎開として、長野県上水内郡水内村(かみみのうちぐんみのうちむら)へ行きました。私は4年生でした。4月13日の空襲で私の家は全部燃えてしまったので親せきから着る物をもらいました。上野から夜行列車に乗り、長野へは翌日の朝に着きました。

山の方にある源真寺(げんしんじ)と安養寺(あんようじ)の2つの寺に泊まりました。白いご飯はなく玄米のまぜご飯・おじや・おかゆ・いもや大豆入りのご飯が多かったです。腹一杯は食べられなかったけどおいしかったよ。学校に持って行く弁当は量が少ないから走ったりすると片方によって半分になり、恥ずかしいので、朝ごはんを土なべのフタに残しておいてそれを弁当に入れていっぱいにして持って行きました。卵なんてなかなか食べられなかったんですよ。

お父さん、お母さんへの手紙を毎日書きましたよ。「会いに来てほしい」「早く帰りたい」とみんなくり返し書きました。静かになると家のことを思い出して逃げ出した子もいました。でも、山道を歩くのが大変なので、すぐにつかまって連れ戻されました。

今になって考えてみると、疎開の体験は「耐える心」を教えてくれたような気がします。いろいろな物がすぐに手に入る時代ですが、みなさんには物を大切にする心を忘れないでいてほしいと思います。
 (創立120周年記念誌「わが伊興」より)
 学童疎開のようす