新校舎が出来たときの様子
  明治時代後期に校舎が全焼
1907(明治40)年3月8日、火災で校舎がすべて焼けてしまいました。夜学のためのランプの火が燃え移ったことが原因です。

当時の学校は1・2年生で1クラス、3・4年生で1クラス、5・6年生と高等科の1・2年生で1クラスでした。その後の1年間は1年生が福寿院を仮校舎に、その他の生徒は遠くのお寺まで通いました。

校舎を立て直すため、村長さんをはじめ教育熱心な村の人々がお金を集めるために協力してくれました。新しい校舎は翌年1月に出来ました。平屋造りの2棟で教室は3つでした。